太田勝久メソッドとは
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太田勝久メソッドとは

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太田勝久 詳細経歴

1:小学校時代

家中の物を一度分解してみないと気がすまない科学少年で、夏休みの自由研究に毎年全力投球していました。おかげさまで三年連続で学校代表作品に。 また、4年生か5年生で買ってもらったポケットコンピューターにのめり込み、自分でゲームを作ったりしていました。

学校が大好きで毎日下校時刻まで野球やサッカーをしていましたね。知能あそびを4歳からしていたおかげで、「受験勉強」ではなく「勉強」が好きでした。 結局、一度も大手塾に通うことなく灘中学へ。

2:中学・高校時代

パソコン部部長、ソフトボール部三塁手、灘校新聞の編集委員の三足のわらじをはいていました。 全国高校生新聞編集者会議という全国組織での活動から必要性を感じ、それまで閉鎖的だった近畿の各高校のパソコン部の連絡組織発足に高校三年生の一年間努めました。 高三の11月に無事第一回大会を主催して部活引退。

また、高校三年生の春にそれまでの東大工学部志望から東大法学部志望に変更。それまではコンピューターの専門家、人工知能の研究家を目指していましたが、 まだ社会でコンピューターが使われていない分野にコンピューターを普及させる仕事をするには法学部出身の方が良いとエンジニアの方に勧められて高校三年生での文転を決意。 無事現役で東大法学部へ。

ちなみに、平成12年から毎年、灘校同期の忘年会の幹事をしていまして、元担任の先生方と一緒に、各界で活躍する同級生から刺激をもらっています。 その実績から(?)平成21年には灘校全体の同窓会の幹事を仰せつかってしまい、責任の重さをひしひしと感じているところです。

コラム:灘高校というトコロはこちら

3:大学時代

1年生の間は硬式野球部員として、朝から晩まで一年間野球漬けでした。

コラム:東大野球部というトコロはこちら

学年の半数近くは1年生の終わりで戦力外通告されるという厳しい実力主義の野球部で1年の終わりに戦力外になり、 2年生からは授業に出席しながら、学習塾でのアルバイトとバンド活動が忙しくなって来ます。 学習塾では学生アルバイトとしては史上初めて、全校舎合同の受験直前正月合宿の6年生算数講師に指名されました。 この年度の夏合宿では6年生の国語講師に抜てきされていて、算数国語両方で合宿の講師に指名されたのも史上初めてのケースでした。 この塾はその後どんどん校舎数を増やし、株式店頭公開から東証二部上場、一部上場と発展しています。

塾講師時代に書いた、教育への思いを述べた文章はこちら

バンド活動の方は、いくつかのバンドを経て、平成4年10月に自身のバンド「Light Staff」を結成。 「冷めた日本に火を点(つ)ける!」をキャッチコピーに、作詞・作曲・ギター・ボーカルとして大学卒業後の平成8年までライブ活動をしていました。

東大の法学部でこの先日本の中枢で活躍するであろう同級生たちの良い面も悪い面も見ることができたことは、 今教育者として子供たちに小さい頃何を経験してもらうかを考えるにあたり、とても良い経験になりました。

コラム:東大法学部というトコロはこちら

4:東京での家庭教師時代

大学卒業後は、「おそらく東京で一番授業料の高い部類の」家庭教師センターで家庭教師を務めました。受験まで半年しかないとか、 3ヶ月しかないとか、そんな時期に他の家庭教師から切り替えられるご家庭がほとんどで、「来週の塾のテストまでに○○算をできるようにしてください」とか、 そんな目の前の結果を欲しがられるケースがほとんどでした。そんなご家庭で「それよりも、○○算の前に、その基本の××算が分かっておられないので、 そこに戻りましょう」とご提案すると、翌日にはセンターに「昨日の先生はダメだから、もっと良い先生をよこしてくれ」という電話が良くかかって来ました。

生徒さんのほとんどは大手塾に通いながら、プラス家庭教師を頼まれているので、大手塾のカリキュラムを勉強させていただく良い機会にもなりました。

この時期に朝日小学生新聞紙上で書いた入試解説はこちら

5:平成9年、神戸に戻って来ました

平成9年、両親の経営する「太田教室」「太田塾」のスタッフに加わりました。 「ごあいさつ」にもありますように、東京での「外科手術」のような受験指導ではなく、知能あそびで小さいころに「やわらかあたま」を育て、 余裕をもって楽しみながら中学入試に向かうことができるような「漢方薬」のような教育をしたいと思ったからです。

平成14年に両親に代わって代表に就任。翌15年には自らの夢と理念の詰まった名前「Light Staff」に改称しました。 自らを育ててもらった知能あそびを、もっともっと良いもの、時代に合ったものに発展させていくことをライフワークにし、 あらゆる面からお子さまの可能性を拡げられる「太田勝久メソッド」をさらに磨きあげ、これからも子どもたちにもいろいろ教わりながら 頑張って行きたいと思っています。

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